Over the Gate 7話 Believe  1  「延命手術の結果、得られた時間は本来の二年に加えて二年半、すなわち四年半だ」  真東輝が広志に電話で話す。  4月…、剣星、ヨナ、ノエルは高校二年生になっていた。  「そうですか…、里奈ちゃんにとってその時間でも短いぐらいだ」  「そうは言えないんだよ、ヒロ。一樹さんはその時間を使って経営再建を始めようとしている、治療と同時並行で…」  「ヨナちゃんの引っ越しの手伝いはどうします?」  「輝広が行くようだ、ついでに里奈ちゃんも…」  一樹が住んでいたマンションを鬼丸家が元気とセーラが将来結婚した時の新居として買い取る事になり、一週間後に引っ越す事になったのだ。ヨナは剣星の家の空いている部屋に移る事になり、剣星が音頭を取って安仁屋達や元気、セーラ、尚人、里奈が手伝いに入る事になった。自転車やちょっとしたキャリーカーを使えば引越しが出来る程度の荷物だったのである。  「私からは宝条が支援に行きたいというので、その意向に従いましょう。資材で足りないモノがあればファックスしてくれたら差し入れます」  「一樹さんの軽乗用車は?」  「元気君が引き取る事になりました。それも含めてですから2000万円、十分おつりが来ます」  「ヒロ、相変わらずキレる頭だな…。あの時よりも鋭くなっているような感じがする。サッカーで言えばエースストライカーそのものじゃないか」  「そんなことはないですよ、輝先生」  「というわけで、君達にこの場所に集まってもらったわけだ」  「あの女狐どもが片岡さんを襲撃したんですね…、ぼっこぼこにしてやりたい!」  若手の開発者が怒りをあらわにする。  「その憤慨を商品開発で生かして欲しい、というのは電気自動車は完全にハヤタは敗れている。ハヤタに残された道は水素エンジンとハイブリッドシステムを組み合わせた車しかない」  「あなた、片岡さんの言う通りよ。おちついて」  若い技術者達をなだめるのは宝条栞だった、というのは広志の指示があって栞は一樹の手足になる事になった。ガンの延命治療を受けながらハヤタ自動車の経営再建に動き始めたのだった。  「片岡さんがこんな事になろうとは…」  「たとえ僅かでも残された可能性に俺は懸けたい」  「悪事をはたらいた経営陣と現場の人間は区別して考えるべきだというのがボスの考えよ」  そこへ入ってきた三人。里奈に連れられて朝日奈孝也・雛親子が入ってきた。  「お父さん、この前話した朝日奈さん。会いたいって話していたでしょ」  「里奈、すまないな」  「私席はずすよ」  「はずさなくていい。朝日奈さん、アイアンウッドファンドの内紛で大変だったでしょう」  「ようやく体調が落ち着きましたね。我々は創設時の理念に立ち戻る事になりました、それに私の力不足で金だけにえげつない経営者の暴走を許してしまい、申し訳ない!」  突然土下座する孝也。驚いて手を差し出す一樹。戸惑う雛と里奈。  「そこまでしなくて構いません、朝日奈さん。あなたも我々の同士ではありませんか」  「朝日奈さん、俺達の戦いに力を貸してくれませんか。あなたは『人に優しい会社を応援する創業時に立ち戻ろう』と呼びかけているじゃないですか。ハヤタ自動車にもそれは言えます」  技術者たちが声をかける。ハヤタ自動車に強制捜査が入り、この事がきっかけになってハヤタ自動車に部品を搬入している下請けから反乱が起きていた。ハヤタ自動車への部品を作らなくなり条件のいい大韓自動車、新日本自動車、本間自動車へ寝返ったのだ。ハヤタ自動車は下請けに凄まじいまでの犠牲を押しつけてコスト削減していた。しかも8年前の混乱がきっかけで派遣従業員や期間従業員の乱用を禁じられていた為四面楚歌そのものになっていた。  そうなるとハヤタ自動車は車そのものが作れなくなってしまう。若手の技術者はそれで立ち上がったのだ。  「マイケル・ルーサー社長も逮捕されたわ、次は藤堂寅太郎よ。強制捜査されたらほぼ後は逮捕よ」  「だが、後継者の連中の無知ぶりは酷い。転売でその場しのぎの資金集めだ」  苦々しい表情で孝也が言う。  「いらっしゃいませ!」  ここはレストラン桜都。  剣星がテーブルを拭きに来る。和服をまとった壮年の男と羊毛を加工したコートをまとった女性、そして夫婦の4人が話している。松坂征四郎の遺産を受け継いだ今でもこの場所でアルバイトをしているのだ。その姿勢にオーナーの李小狼とさくら夫妻は「将来大物になる」と見ていた。  「獅子堂さんが今度ハヤタ記念高校を買収する事になったのか」  「ああ…、あの奇跡の男に頭を下げられては引き受けないわけにはいくまい、それにワシは義理の孫との約束がある」  「剣星君、あなたどん欲よね、おじいさまの遺産を得てもずっとここでアルバイトをしているなんて…」  「じいちゃんに『大金を得ても現実から離れるな』といわれていたんです」  「だから、僕らは応援したくなる」  羊毛のコートをまとっていた女性はクルエラ・ド・ヴィルといい、地元川越でブティックを経営しているほか、最近では捨てられていたペットの里親になって新たな飼い主を見つける運動をしていた。がっちりした壮年の男は獅子堂勇といい、四ツ葉学院理事長である。剣星はヨナから学んだ韓国料理をオーナーの李小狼に見込まれてアルバイトとして雇われていた、月10万円稼いでいるのだ。  「今度あなたにわんちゃんを引き合わせるわよ」  「えっ、どういう事ですか」  「パトラッシュの子供が子犬を生んだのよ、それで今私は飼い主を募集しているけど、残り一匹が見つからないのよ」  「そうですか…、俺に飼い主になって欲しいんですか」  「できればよ、でもあなたは学生でしょ、大変よ」  「その時は君の知り合いのバタン兄弟に頼めばいい」  バタン兄弟は最近101匹を超える犬を育て上げている事で人気になっているブリーダーとトレーナーのコンビだ。ブリーダーのジャスパーが適切な犬のコーディネートを引き受け、生まれた子犬のしつけなどを行うトレーナーはドジばかりするが堅実な弟のホーレスだ。バタン兄弟の手にかかればどんな犬でもすぐになついてしまう。外見もユーモアあふれる為子供達から慕われている。  「ところで、ヨナの試合の衣装はどうですか」  「ばっちりよ。赤いドレスは古着を改造して作るんだけど、彼女はどうかしら。本当なら新しいのを作ってあげたかったのだけど…」  済まなさそうな女性。彼女はクルエラの友人であるアニタ・ラドクリフといい、夫のロジャー(作曲家でオーケストラから現代音楽までこなせる)とはダルメシアンの犬を飼っていた事から知り合った。ちなみに彼らの足下でゆっくりと伏せている犬こそがダルメシアンのポンゴとバティータだ。ロジャーと剣星が知り合ったのは川越市内の大学の市民講座で、それ以来剣星、ヨナとはアニタ、クルエラを巻き込んで知り合っており二人の応援をしていた。クルエラはアニタにブティックの商品の仕入れや商品作成を任せている。その二人がヨナのために古着を改造した衣装を作る事にしたのだった。ちなみにクルエラの承諾を得てロジャーが作曲した「町のクルエラ」が大ヒットし、彼女のブティックも売り上げが伸びている。  「ヨナはその事を分かって喜んでいますよ。そうじゃなくちゃ今度の東京大会でのチケットを贈らないはずがない。ロジャーさんには感謝しています、俺の為にあんな合奏曲をかいてくれるなんて…」  「僕にとっても大きな挑戦だった、君のおかげだよ。それに僕は君のダイナミックな指揮に目をつけて君だからこそ引き出せるようにした、音の闘神と言われるようになるよ」  「その言葉は俺には似合いません、闘神と言うべきは高野先生ですよ」  「しかし、ハヤタ自動車があんな不正を行うとは…。ハヤタ記念高校は買収させてもらうが、ハヤタ救済ではない、あの学生達を助ける為だ」  「ありがとうございます」  「ワシは国籍法を改正した際にこう言った、『日本人という狭い枠にこだわっているようでは新たな時代は開けない』と。ワシの主張は当時批判されたがワシは揺るがなかった、移民には日本語テストを三度受けて合格した場合に日本籍を与える事や日本で生まれ5年以上育った者には日本籍を与えるという条件は今やこの国を活性化させているではないか」  「そうですね、そうじゃないと僕らはここにいないでしょう」  「明日ヨナが引っ越してきますので、休みますよ」  「ああ、分かっているさ。僕らからも応援はさせてもらうよ」  この場所は貸し切りで、クルエラ達が来たらいつも剣星が専属で引き受けている。クルエラ達は剣星と強い絆を交わしていたのだ。  「よし、じいちゃんのベッドは掃除が終わった。後は書棚をきれいにするだけだ」  剣星は初老の男と部屋を掃除していた。征四郎の家は田舎の豪族出身の家が殺人事件で土地処分を余儀なくされた際に無償で譲り受けただけあり、頑丈だ。実子の高辻征太郎も羨むほどの家なのだが、「自分は高辻家の婿養子なので」と剣星に引き継ぐ事に賛成した。  「しかし、よく彼女を引き受ける事にしたものだな」  「あいつといるだけでも刺激的なんです、もっと楽しみな生活になりますよ」  「このアルバム、見た事がないな…」  男は関口良宏川越市議会議員で、松坂征四郎の秘書経験があり、その後市議会議員になったのである。恐らく征四郎が密かに作っていたアルバムなのだろう。  「ああ…、懐かしい…、これは小渕沢でのリゾートだ…」  「あれ、君のそばに写っているのは」  「一体俺は…」  剣星は戸惑っている。そしてページをめくると思わず剣星が困惑し、顔を赤らめる写真がそこにはあった。    「そう…、ちっちゃかった頃の記憶はいつしか消えていくものね…」  ヨナが征四郎の使っていた部屋に荷物を運び入れた後…。  剣星はレモンバームを加工した茶を入れて飲んでいた。その際にヨナにアルバムを見せていたのだ。  「俺は小渕沢でさっき思い出した、乗馬ごっこして遊んでいたっけ」  「確か私を背中に乗せて走っていたっけ。そこに新聞記者の人が加わって…」  「ああ…、たぶん新聞記者の人が撮った写真だよ」  「私、ちっちゃかった頃ワンちゃんごっこを越乃先輩として遊んだ事があったな」  「そりゃ参ったな。だからノエルは犬が好きなんだ。でも猫を飼っている。不思議だな」  「でも、これには私も参ったわよ」  ノエルが呆れ顔だ、そこには剣星とヨナが裸で水浴びしている写真があった。しかも肝心の部分もばっちり写っている。剣星もヨナも渋い表情だ。  「こうして見ると、ヨナちゃん小さい頃からかわいいじゃないか」  「剣星君とヨナちゃん、同じ日に生まれたんだってね?」  「ええ、俺がたまたま30分早く生まれているみたいみたいで」  そういうと剣星はヨナに顔を向ける。  「親父さんはフィギュアスケート選手としてのヨナから励まされているんだ、失敗したって大丈夫だ。俺達はしっかりと見守る事を約束するさ」  「周囲が期待しているのは分かるけど…、でも…」  「私も分かるよ、それでも味方はいるよ」  その時だ、突然剣星の足下に子犬が駆け寄ってくる。  「あれ?パトラッシュの子供?」  「この子がパトラッシュの孫犬よ」  優しい笑みを浮かべて入ってきたのはクルエラ。いつも身に着けている白黒縁のまだら模様の羊毛のコートを外している。手元には袋がある。  「ドレスができたわよ、ヨナちゃん」  「ああ…、凄くきれい…!!」  「これは古着なの?」  「ああ、俺達が選んだんだ。ノーブランドのものでもここまで仕上げられる」  「今度のフランス大会でも出るの?」  「うん、剣星がフランス語できるっているのよ」  「俺がカナダに留学してちょっとフランス語がかじれる程度なんだけどね」  「重田さん、メジャーセブンがハヤタ自動車を切り捨てたそうですね」  「ああ、奴らは日本重工を通じて経営破綻したUSモーターズのサンダーズというブランドを買収してアメリカに工場を構えて日本に輸入し始めたばかりか、サンダーズモーターの日本法人を立ち上げてハヤタ自動車の工場跡地にも進出している。そこに販売店の買収だ」  「その上に有力販売店までガッサリ奪うんですからねぇ」  呆れる高野広志。拳志郎も渋い表情だ。  「社長も相当酷い、平間恒雄なんか転売ばかりで無能、ごますり副社長の山下栄樹と責任押しつけの名人である副社長の柴谷仁紀はいるだけ無駄だな」  「ふん、江戸前銚子グループの顧問に社長でもなってもらった方がましだな」  広志は冷笑する。  「あの二人も呆れていたぞ、ヒロ」  「確かに。拳志郎さん、あの二人とは今でも会いますか」  「あの二人も罪を悔やんでいる、罪を悔やむ者には憎しみで接するのは害毒だ」  ジャギはゼーラ王室に仕えており、禁断の間という国王夫妻のみの部屋で国王一家の世話をしている。というのも8年前の騒動で彼は子供ができない体になってしまったからだ。その代わり、国王一家の代理人としての役目を持っており、今や世話の一切を任されているほどなのだ。  「メジャーセブンはあの新日本自動車や本間自動車を取り込もうとしたがいずれも肘鉄を食わされた、当然だろうな」  「本間自動車は元々カイオウの嫁の父親が創業者だったわけでしょう、そして新日本自動車の前身のゾーダペガサス自動車は言うに及ばずだ。あの二社が共同開発した電気自動車規格が世界の標準になろうとはね…」  「だが、このままではハヤタ自動車は破滅必至だ、経営者の罪を従業員に負わせるわけにはいかない」  広志は厳しい眼差しで言う。ケンゴが苦々しく言う。  「ヒロ、俺が奴らに地獄への引導を渡すさ。どうにもならない悪党どもめ!」  2週間後…。  「どういう事なの?」  「要するに、ハヤタ自動車の経営者が代わって、前の経営陣は会社に損失を与えた為に損害賠償を起こされる可能性があるという事や」  ヨナに剣星は説明する。剣星は祖父征四郎から経済面の読み方をたたき込まれていた事もあり、株式にも強い。ちなみにハヤタ自動車の社長は朝日奈の部下である熊田恒人が引き受ける事になった。アークヒルズファンド、アイアンウッドファンドが共同で筆頭株主になり、熊田を社長に送り込んだのである。  平間達無責任経営者達はケンゴ、一樹、朝日奈に乗り込まれて散々糾弾を受け、取締役会で解任決議を出される始末である。無論解任され、退職金はない上ケンゴから不良債権を退職金代わりに押しつけられる始末である。ケンゴからは『死ぬ気で働けボケ』と突き放される始末だ。不良債権の債務者はいずれも不動産会社で土地は値下がりしているのだから何にも言えない。  「会社の取締役会でアークヒルズファンドの遠野ケンゴ代表が『ルーザーの悪事に何一つ声を上げなかったあなたもイエスマン組合もルーサーの共犯だ!』と痛烈に糾弾して、まともなハヤタ自動車労働組合から拍手喝采を浴びたんやって」  「まだハヤタにも光があった訳ね」  「ああ…。ちなみにハヤタ自動車の電気自動車の企画は撤回、新日本自動車の企画を全面採用して量産力でコスト削減を図るんやって」  「新しい社長さん、大変ね…」  「ああ…。日刊北斗によると『リコール被害者や販売店に対してお詫び安行を行う事が私の第一のミッションで、技術面での改良は今までの技術者を活用しつつ、今まで粗末にされていた販売店や下請けにも参画をお願いして水素エンジンとハイブリッドエンジンでの改良を図りたい』と言うそうや。ルーザーを賛美していたハヤタ自動車グループ労働組合は解散だってさ」  そういうと剣星はパンを手に取った。  「よくここまで行き届いたアドバイスをしてくれてありがとう。これでハヤタ再建の目処は見えてきた」  ここはテファ堂。  ケンゴがお礼を述べている相手はミン・グッキだった。  「剣星の事はもう、諦めました。彼をあれだけ支える人がいるんですから」  「ああ…。だけど、俺の弟子になるのは大変だぞ。チャンさんの仕事と両立するのはきつい」  「チャン先生も後押ししてくれました。『ものづくりの心を忘れないで経営の勉強をしなさい』といって…」  「分かった、チャンさんの仕事は続けて欲しいし、通信制の大学に通う事が条件だぞ、その代わり学費は俺が持つよ」  ケンゴは優しい眼差しで言う。グッキはケンゴの元で修行をしながら、パン屋の経営に携わることになった。  「ハヤタ自動車に早田一族が私財を提供する話を断ったじゃないですか」  「経営陣とオーナーは判断が違う。だが経営体制を容認した責任があるから、俺はオーナー一族にハヤタ自動車から完全に手を引く事を求めて受け入れてもらった。ものづくりの心を忘れたら、あんなばかげたギャンブルになる」  「このお茶…」  「ドクダミ茶なんだ。どう加工するかで変わってくるんだよ、味は。車も同じなんだ、使う人の思いで変わってくる。ハヤタ自動車だが、イスラム系の銀行が融資を行うそうだ」  その頃、剣星は…。  ヨナと共に二人の男女を前にして緊張の表情を崩さない。  「そんな、無名に等しい高校のブラスバンド部の演奏でいいんですか!?」  「ああ、エドワード・グリークの歌劇『ペール・ギュント』の『ソルヴェイグの子守唄』をショートプログラムで使いたいとヨナが言い出しているんだ。私は最初戸惑ったが意思が固くてね…」  「本当にいいのか!?俺のブラスバンド部は関東大会に出た程度のチームなんだぞ!?」  「彼女は旭川五輪でもこの曲を使う意向なのよ。二年間賭けてしっくりとすべりあげたいって。そのために最近夫のスパルタ指導を更に強めてもらっているのよ」  八木沢まふゆが答える。彼女は平壌の後のオスロ五輪で銅メダルをとった日本を代表する名選手の一人で、今は当時のコーチで夫になった徹と共にヨナのコーチを務めている。  「お願い、どうしても使いたいのよ。世界へ共に飛び出すにはどうしても剣星の力が必要よ」  「本当に、いいんだね…」  剣星は確認をする。ヨナはきっぱりとうなづく。  「分かった、最大限のベストは尽くす」  「ということだ。俺達はとんでもないミッションを担うことになってしまった」  「スゲェ…。本気で頼んできたわけか…」  金髪を下ろした青年が驚きの表情を隠せない。  彼は早乙女健太郎といい、パーカッションを担当している。普段はバンドでドラムをやっているのだが、剣星の演奏に惹かれてブラスバンド部に加わった。  「正直、俺は戸惑っているんだ…。今回の曲はかなりしっとりした曲なんだ、早乙女も分かるだろ」  「俺もやや苦手ってところだが、克服するチャンスが来たわけさ」  「そう言ってくると父にそっくりですね」  「真東!!」  眼差しが真っ直ぐな表情の少女が微笑む。彼女は真東広乃、そう、あの真東輝と綾乃の娘である。彼女はブラスバンド部でフルートを担当している。母親に似ていて髪の毛は肩で揃えられている。兄の輝広は高校総体でテニス選手として出場している。医学生を目指しており将来は外科医志望だ。広乃は眼科医を目指している。その彼氏はあの四宮蓮の長男・光広で、すでに医学生になっている。父や義理の叔父と同じ外科医を目指している。  「八木沢夫妻は李先輩を見事に育て上げているんですよね、確か徹コーチが厳しく指導し、まふゆコーチがメンタル面でアドバイスをする関係で、かつて徹コーチが現役だったまふゆさんを世界屈指の名選手に鍛え上げたようにしてやっているって父が話していました。徹コーチはスパルタ指導で戸惑い悩むこともあるんですけど、まふゆさんが支えているみたいですよ」  「まあね。よく弱音も文句も吐かない。まふゆコーチのライバルで今はノエルの母親のもとでコーチ修行をしている鬼束れいコーチも『ライバルながらあっぱれ』と言わせしめるほどだ。ノエル本人から話は聞いているさ」  「きっと、ペール・ギュントを仲田先輩に重ねているかもしれません」  「俺がペール・ギュント!?俺はそんな伊達男じゃないけど」  思わず剣星は苦笑いした。  「仲田先輩って結構後輩からモテていますよ。鈍感すぎますよ。指揮棒を振るうところが男前だとか、頭がいいとか色々言われているんですよ」  「それは初耳だね。俺は雑だから」  戸惑う剣星。だが、彼の指揮する姿はまさしく闘神そのもので、後に『音の神』という異名がつくのも無理はなかった。  「李先輩がいなかったらみんなメロメロですよ、絶対」  「俺はそこまでモテるような男じゃない。参ったな…」  「いや、結構仲田はイケてるな。服選びだってセンス抜群だし、スポーツだって一度見たらこなせる。この前スケートリンクでジャンプの着地をやってのけるなんてスゲェ…」  「多分、李先輩は仲田先輩を支えようとしているんです。父から仲田先輩があんな事件に巻き込まれた際に苦しんだって聞いていました」  「…」  「どうしたんだ!?仲田!!」  「俺、ホンマにバカや…。なして気が付かへんかったんや…」  つぶやく剣星。その目から涙がこぼれ落ちる。  「仲田らしくねぇよ、一体…」  「仲田先輩は李先輩の意図に気が付かなかったんですよ。一番そばにいるのに…」  「鈍感すぎや…」  2  「ヒロさん、ルーザーの騒ぎも見えてきましたね」  「パットくんの言うとおりだな。日本モーターがアプリコッツの傘下になるそうだ」  「日本モーターがハヤタとの独占契約がもらえなくなった上に、交流モーターとインバーター技術に強い新日本モーターの猛攻に敗れたんですね」  「胡座をかいだ結果の果てだな」  広志は厳しい声で言い放つ。新日本モーターは電動スクーターの販売まで始めており、ハヤタ自動車の自動車のシェアは切り崩されていた。支援どころではなくなったのだ。皮肉な事に新日本モーターの創業者は日本モーターをレイオフされた従業員達で、強制清算された東海モーターの特許権を密かに買い取った上、製造全体が研究機関という開発体制で新日本モーターによる電動スクーター開発は成功したのだ。パットが広志に不思議そうに聞く。  「しかし、イスラム金融機関が融資をするなんて珍しいじゃないですか」  「俺はソマリアでイスラム教の指導者と会って毎日話し合った。俺は彼らに言った、『ムスリムの信念を俺は決して粗末にはしない、その代わりあなた方も共存の道を探って欲しい』と…。彼らからのクレームを毎回伺いつつ改善を共に模索した日々だった。イスラム金融に目をつけたのは、利息を取らないからだ。それと同時にイスラム教の理念をハヤタが少しでも取り入れる事で今までのえげつないルーザーの経営を一掃する事ができるんだ。後は市民団体との和解で彼らに一定の議決権を持つ株式を無償で譲渡する事もしなければなるまい」  アラブインターナショナルバンクという民主化されたムスリム国家・イランに本拠を持つ大手金融機関がある、この会社はNYSE(ニューヨーク証券取引所)に上場しているのだが、日本にもAIB信託銀行という日本法人を持つ。そこで広志は熊田にアドバイスをした上で自ら両者との仲立ちを取り持った。この事については週刊北斗が報道しており、広志は包み隠さず話している。それは広志自身、政治力を駆使したと見られかねる事を懸念したからだった。  「朝比奈さん、よく売却を決めましたね」  「責任があります。あまりにも酷いグリーンメーラーぶりで、司法当局には捜査に全面的に協力する旨を告げています。株式も上場計画を中止して経営権を一括して今度セラミックキャピタルと合併する日動あおいフィナンシャルグループに売却する事にしたんです。会社は清算しますけどね」  「ちなみにルーザーと垂水の隠し資産は?」  「香港にたっぷりありました。総資産にして150億円です。すでに全て差し押さえていて、レイオフの被害者やグリーンメーラーで被害を受けた企業、ハヤタ事件被害者との和解費用に全て充てます。いやはや…」  ため息をつく朝日奈。彼はハヤタ自動車会長に就任して経営再建に全力を注ぐ事にした。自身も私財を提供して被害者救済に当たる覚悟を示したのだ。  「あなたも被害者なんですよ、ため息をつく事なんてないじゃないですか」  「そうや、高野先生の言う通りや」  茶髪の青年が言う、彼こそがレイオフ被害者の法的代理人を務める弁護士の柳直也だった。  「ちなみに剣星、どうなってんや」  「彼か?高校2年生になって、今度甲子園でのブラスバンド部の練習に忙しいし、彼女とも忙しいぞ」  「あいつ、メッチャ幸せでほっとしまっせ。遼介に俺が紹介しただけあったんや」  柳の言う遼介とはつばさ製薬の社長に就任した的場遼介である、彼と柳は大阪にいた時若手弁護士として活躍していた柳に遼介が仕事を頼んだ事がきっかけで仲良くなったのである。ちなみに遼介は神田川高校の運営母体になった関東大学の理事に就任していた事がある。柳は正義感が強く、児童虐待の問題を中心にパワハラ問題などで活躍していた。  「オーナーって年の割にはがっちりしている人ですね」  「ワシの事か?」  尚人に気さくな表情で話す獅子堂勇。彼は学校の経営再建に力を注いでおり、学習塾を日本屈指の進学校に成長させた上、経営危機に陥った学校の経営再建を引き受けていた。破産寸前の名門大学・千代田大学を買収して見事に再建した四ツ葉学院のオーナー経営者であるのだが、獅子堂一族は自分以外一切関与させていないほど公私混同を嫌っている。徹底した競争入札制度を導入しているのも、公平さと公正さを担保するべきだという彼の持つ信念だった。本部も未だに水戸においているのも無駄な支出を嫌う勇の厳しさがそこにあった。  「ハヤタ自動車の悪事にお主らが巻き込まれ、人生を引き裂かれるのはワシの良識が許すまいと思うて、朝日奈会長の話に応じた訳じゃ」  「校名はどうするんですか」  「ワシが5年前に買収した千代田大学の附属高校という扱いにする事にした。お主の義妹にも顔が立つだろう」  「そうなんだ…」  「獅子堂さんが『朝日奈会長の要請もあって買収を決めた』と話してたのよ」  ノエル、ヨナを交えて剣星、里奈がコーヒーショップで話をしている。  「そうか…。兄さんの言うリストラになったね」  「ああ…、渡の言うとおりだね。本当のリストラとは事業の再構築なんだ。その過程で事業が他社と比較して弱い場合は強化するか競合他社に売却して切り捨てるかのどちらかで、その次には経営者の交代、賃下げ、首をはねるのは最後の手段。今までの日本の企業は『リストラ』ではなく整理解雇の意味であるレイオフなんだ」  苦々しい表情で登太牙が言う。ハヤタ記念高校の売却をハヤタ自動車労働組合は高い評価を与えた。多角化経営からハヤタ自動車は撤退し、住宅事業は独立、飛行機事業は新日本自動車との合弁会社に、証券事業は朝比奈孝也が買収するなど、事業を大幅に見直した。一方で自動車事業は強化していた。  「絶対頑張るよ、だからヨナも頑張ろうよ」  「ええ、そうじゃなくちゃ!」  千代田大学にはアイスコートがあった、というのはこのアイスコートはスペイン製の特殊樹脂でできておりコストも極めて安い。フィギュアスケートに強い大学だったがこの経費が重くのしかかり経営危機に陥ったところを四ツ葉学院が買収して経営を見事に再建したのだった。  「この前日韓共同合宿あったけど、大変だったろ」  「目立ちたがり屋はいるわ散々よ」  渋い表情でノエルが剣星に話す。  「仕方がないさ。俺もある意味目立っちゃって困る」  「195cmのジャンボだからねぇ」  里奈に言われて剣星は戸惑う。サッカーの日韓戦が近々埼玉スタジアムであるのだ。パンク姿の高校生が剣星に話す。彼は地味頁二といい、仲間からパンクローと言われ慕われており、吹奏楽部ではエレキギターとクラシックギターを兼任している。  「普通、剣星ってどっちかというと日本人らしいじゃん、でもこだわりってないよな」  「パンクロー、俺か?俺ってコリアンの血が流れている。だが、今更国という狭いメンツにこだわっていても意味がない。だけど、やった罪は罪だ、逃げるわけにはいくまい。だから日韓戦なんて苦手だよ」  「私も、半分日本人みたいなものよ。日本籍持ってるもん。だからどちらも頑張って欲しいのよ」  「なるほどねぇ…。輝先生、この前から福島に行っているの分かるだろう」  「蓮先生、あなたは…」  「俺は休みだからここに報告しに来たんだ。明日また福島に行く。ハヤタ記念病院の再建で人員の面接をさっきしてきてね…」  蓮は8年間、ヴァルハラの中核で動く一方、世界中の名医と出会い研修を受けていた。その人達をハヤタ記念病院再建のメンバーに据える事にしたのだ。  「しかし、よく見つけましたね、ジョン・ボブキンス病院出身の小児外科医なんて」  「あいつは第二の輝になれる。そうじゃないとヴァルハラは成長しない。俺もいつまでも現役の外科医の腕を維持できるかはわからない。だが、第二の光介は育てていかねばならない…」  西條命、瀬名マリアを中心にしたチームを蓮は見出し、ハヤタ記念福島病院を引き受ける際に彼らを中心メンバーに据えて彼らの理念である小児外科、派閥や上下関係にとらわれず研究に専念できるヴァルハラ初の大規模臨床施設としての再生で動きだした。 桐生奠(きりゅう さだめ)・危(あやめ)兄弟まで据え、ハヤタ記念福島病院はヴァルハラ福島中央病院として再生を始めた。  だが、不正に対しても見逃すわけにはいかない。蓮は盟友の北見柊一、後沢照久を招き入れて二ヶ月間陣頭指揮を執りながら不正の洗い出しを始めた。その中でハヤタ自動車が危篤状態に陥ったマイケル・セナの治療を怠った決定的な証拠まで見つかり、警察の捜査を要請、自らは遺族に謝罪するなどしてクレーム処理をこなしつつあった。蓮の熾烈なまでの厳しさはゆるんでいたハヤタ記念福島病院に大きな渇を入れた。蓮の手弁当の戦いに輝も休みを縫って支援していた。  「いや、それにしてもルーサーって骨の髄から悪党ですね」  「ああ…、あの大間抜け事第四勢力に衰退していた第三党の大沢啓に賄賂を渡していたそうだ。彼の出身母体である青森の公用車の大半をハヤタにするよう働きかけた代わりにパーティー券5000万円を購入していたが実際は空パーティーだった。メジャーセブンまでしでかしていたのだから救えない。あのサザンクロス病院並だ」  「一樹さんの病状はどうなんですか」  「できるだけ緩やかな進行にとどめている。小腸ガンに加えて肺に転移じゃ、俺は…。無能さには俺自身悔しさすら覚える…。すまん…」  蓮は悔しそうに拳を握りしめる。  「蓮先生、あなたがそこまで責任を感じないでください。父を助けられるのはあなただけです」  「ありがとう…」  「そういえば、ヨナ、あなたがフィギュアスケートを始めたのは何で?」  登深央が不思議そうに聞く。  「全米チャンピオンのナタリー・ケレガン選手ですね。あの人の演技を6歳の時に見てそれ以来です」  「お姉ちゃん、ついでにゲットしたら?」  「色紙の事?」  ヨナは思わず苦笑する、ノエルも手元のマジックを取り出す。紅静香(深央の義理の妹)が素早くフォローする。  「風呂が別棟なんて初めてきた人達はちょっと戸惑うやろな…。ま、ええか…」  剣星は湯船に身を沈める。この日は大変だった、というのはパパラッチがヨナの写真を盗撮しようとしていた事がばれたからだ。そこへ剣星の愛犬であるパトラッシュの孫犬・サードが吼えかかりパパラッチにかみついた。剣星はパパラッチから事情を聞き、事務所を通じての取材を求めた上でヨナと一緒に取材に応じた。  パパラッチは反省し、剣星の為に協力すると誓い、電話番号を交換して帰っていった。  「いい?」  ヨナの声がする。  「ああ、鍵は掛けてあらへん」  「へヘッ、剣星の体、文系なのにマッチョマンね」  そういうとヨナが入ってきた。剣星は思わず顔を赤らめた、というのもヨナも裸なのだ。これにはどんな男でも面食らって慌ててしまうはずだ、当然剣星もそうだ。  「ちょ、ちょっとヨナ!」  「まごつかないで、ノエルから聞いちゃったよ。剣星の体、文系なのに筋肉の鎧そのものだって」  「小学校5年生までFC南大阪のジュニアユースチームに通っていた。その体を維持するのに精一杯や」  「7年前と違って、剣星の体つき、がっちりしたよね」  「そういえばヨナやろ。俺あの時ヨナと何から何まで一緒だったやろ。その時のヨナの体と比べると女性そのものだって分かる」  剣星の胸元にヨナは耳を当てる。剣星の中でたかがはずれかかる。だが、剣星の理性はそれを強く押さえ込んだ。小さい頃一緒に入浴したことを剣星は思い出していた。その時と比較するとヨナの胸元はすっかり美乳そのものだ。華奢な体を思わず抱きしめたくなる欲望と、我慢しなければならない理性の間で剣星は戸惑っていた。  「ノエルの奴、余計な事言うてしもうたな。尚人さんからいろいろ聞き出した結果やろ」  「この前尚人さんと一緒に子供達相手にボランティアしていたでしょ、その後で尚人さんから聞き出して私の体の事まで喋ったみたいね」  「ああ、ヨナの体はきれいだってね。俺もヨナの色に染められていっているような気がする」  「でも、その言葉私に当てはまっているみたいよ。何から何まで一緒じゃない。この前中学校に行って高校説明会をした時もでしょ」  「ああ…、ヨナの存在で高校入試の競争率は高くなったな。一年前と比べると顔が生き生きしている」  3  「しゃばの空気は久しぶりだな…」  「一樹さん、こんなんですみません」  剣星の元を一樹が一時退院できていた。  「ヨナ、君はどうだ?」  「お父さんが見て分かるわよ。この家、古い設備だったから剣星と一緒に徐々に変えていっているの」  「いい家だな…。それに剣星君の物持ちもいい」  「俺ですか?パソコンなんて自作っすよ。最近では中古のサーバーを買ってそこに手を加えているっすよ」  「君の技術は優れているな…」  そういうと一樹は剣星の写真を眺める。里奈が渋い表情だ。  「お父さんにとって二人とも自分の子供みたいね」  「ああ…、里奈の言うとおりだ。君は最近クリスチャンになったみたいだな」  「ええ、ヨナと一緒に行っていて、俺もいつの間にかなっていました」  「それに、剣星先輩の料理の腕は凄いですね。誰からですか」  「祖母の影響だね。祖母がじいちゃんの愛人だったんだ」  剣星は大阪の老舗料亭・みなと亭の女将である江藤博美の孫だった、というのは博美は松坂征四郎の愛人だった過去があり、未だに独身を貫いていた。その松坂との間に生まれた娘が亜矢で、征四郎は責任を取る形で認知した。その時から松坂家と江藤家は関係があり、征四郎は自ら仲田正文を亜矢に引き合わせて結婚させた。だから剣星は尚人の出生の秘密にたじろがなかったのだった。  「この大根、君の畑で作ったそうだな」  「猫の額程度なんですけどね。地元の農家に貸しています。畑でヨナとハングルで相談しながら白菜もやりましたよ」  「それでこのキムチ…」  「君達は文化の垣根なんて関係ないな」  「俺の場合、北朝鮮の流れを汲みます。ヨナは韓国の流れ、俺達は同じルーツですよ。ただ、ちょっと違うだけです」  「ハヤタ自動車の事件も立件されて今裁判でしょ。どうなっているの」  「分からない。ただ、有罪なのは間違いない。量刑はどうなるのかは分からないんだ。この前関口先生が法廷で証言したんだけどね。それに征太郎叔父さんも証言した」  「勝利か…。君達は何と思うか…」  「俺は、相手に勝つ事が純粋な勝利かと…」  「そうじゃない、それは勝負上の勝利であって、人生の勝者というのはそんなものではない。いかに信念を強く持っていき抜くかが真の勝者だと言う事だ…」  「真の勝者…」  「勝負上の勝者よりも、人生の勝者になるにはいかに自分の信念を貫くかなのだ…」  「人生の勝者…。俺になれますか…」  「それは、一人一人の生き様だろう…。君達にはまだ時間がある」  「朝倉先生、旭川五輪のスポンサーは順調に集まっています」  「この前アメリカに行ってスポンサーと出資交渉をしたが結構高く出してもらったな。あんたの交渉力には驚くぜ」  朝倉啓太(前大統領・旭川五輪実行委員会委員長)と広志は話している。  「俺が何年アメリカに留学していたか承知でしょう」  「その経験もあったな。だが、日本国内のスポンサー集めはしっかりできているな。まさか、五輪後とはいえライバル企業に競技場の命名権を売却したり建物の一部に出資してもらうなどしたのには驚いたぜ」  「オールジャパン、すなわち日本に進出している外資系にも出資してもらうのがいいんです。五輪後が問題ですからね」  広志が先頭に立って資金源を集め、日本中に工事費用の一部を出してもらうなどして旭川五輪の施設は着実に完成しつつあった。メイン会場は旭川スタルヒン球場に屋根を架けた旭川スタルヒンドーム、旭川陸上競技場を改造した旭川スタジアム(五輪開催後はサッカー・旭川ホワイトアロー(アジアプレミアリーグ3部のプロサッカーチームで日本2部東日本に所属している)のホームスタジアムになる)だ。後は周辺の町村の既存施設を活用する。しかもホテル不足については旭川市の有志が空き部屋を提供するなどしている為、解決のめどが立っていた。  「そういえば、小木駿介被告の裁判はどうなっている」  「彼は罪を認めており、被告人の弁護士はハヤタの不正の実態を法廷で明かすような戦術をとっています」  「それしか彼にはできまい。しかし、あんたにはあんな実態は嫌だろう」  「金の力で人の心をねじ伏せるのは最低極まりません。今は亡きレックス・ルーサーも軽蔑しますよ」  広志は厳しい目で言い切る。小木の裁判で公正な判決を求める署名が広志の同級生である小津魁、茂野吾郎と日動あおいフィナンシャルグループとセラミックキャピタルが合併してできたあけぼのフィナンシャルホールディングスの顧問になったパプテスマ・シロッコを中心にしたメンバーが行い、2000人の署名が集まったという。  「あの裁判に相当きつくのしかかるな」  「そうなってもらわないと困ります。松坂先生への弔いになりませんよ」  「一応、懲役8年、罰金8000万円が求刑されたが、本人は甘んじて受け入れるそうだ」  「九頭弁護士も限度だったみたいですね」  「無罪を勝ち取る為なら手段を選ばない奴が今回敢えて負け戦を買って出たのは…」  「彼は元々そういう人ですよ。彼の『負け戦』がルーサー達の厳罰につながります。そういう意味では彼の勝ちですよ」    その1ヶ月後…。  「じいちゃん…、奴らに終身懲役刑と全資産没収刑が下ったよ…」  征四郎の遺影に剣星は線香を上げていた。征四郎は仏教徒だった為、剣星はその意志を尊重して征四郎については仏前で報告する事にしていた。  ハヤタのルーザー、垂水嘉一、藤堂寅太郎、桐原剛造の悪事も法廷で暴かれ、ルーザーのパワハラも従業員によって暴かれてしまい、彼らはいずれも「人の人生を切り裂いた責任は一生涯を通じて償うしかない」と全資産没収と終身懲役刑、全従業員への生命保険金強制積立没収刑を言い渡された。彼らは全員気絶したが最高裁判所への抗告も棄却されたのだった。そうして彼らは全員シベリアのロシア連合共和国にあるGIN刑務所に1週間後に収容される事になった。しかも孤島なので逃亡は簡単にできない。  明後日には小木駿介への判決も下る。だが剣星にはそれほどの憎しみはなかった。駿介と何回か面会し、罪と向き合う姿勢を通じて許す決心をしていた。すでに公正な裁きを求める署名が2000名を超えたという。剣星にはそれで良かった。その後の生き様を通じて、駿介には罪を償ってもらうまでだ。その思いは家族も一緒だ。  「そう…、剣星に代わるね…」  ヨナは実家と電話をしていた(無論ハングルで会話している)。剣星はヨナから電話を受ける。  「初めまして、仲田です」  「李忠文です。私のヨナから全ての話を伺いました。あなたの祖父を死に至らしめたハヤタ自動車の関係者としてお詫びします」  「そんな、お詫びする事ではありません。忠文さん、今度僕はヨナと一緒に甲子園の応援と吹奏楽のコンクールが終わったら韓国に行きます。その際にお話ししましょう」  「いや、まさかあなたが北韓(韓国では北朝鮮をこのように呼ぶ)の血を継いでいたとは…」  「たまたまです。ただ、最近ヨナからハングルを学んでいるんです。僕もやはり韓国人なんだなって思います」  忠文の声に笑顔が感じられる。滑らかな日本語である。それも無理はない、征四郎の教え子だったからだ。  その頃…。  「大統領閣下、今回何とかうまくいって予算内で全てまとまりました」  「良かった、さすがにあの戦神の血を継ぐ男だけある」  シュナイゼル・エル・ブリタニア大統領を前に広志は報告していた。  「ところで、小木駿介の事だが、どうだろうか」  「彼は罪を認めており謝罪した上でハヤタから得た利益を全て被害者の遺族に渡したいと申し出ていますが、遺族全員は受け取らないで『一生罪を背負う覚悟ならば死刑や終身懲役刑も含めた厳罰は回避してほしい』という意向です」  「なるほど…。彼の覚悟は本気のようだな…」  シュナイゼルは頷く。  「小木駿介の刑罰については特赦を与える事にした。彼はハヤタに人生を狂わされた。だがそれでも罪を償おうという姿勢には答えねばならない。後は彼が罪といかに向き合うかだ、生きて苦しみと向き合いながら償ってもらおう。私もかつて同じ監獄の悪夢を受けた一人だからだ…」  「同感です、大統領閣下」  そこへガブリエル夫人が紅茶を入れる。広志はシュナイゼルが手に取ると同時に手に取ると静かに飲むと笑顔で言う。  「久々のハーブティーですね」  「木更津の私邸でとれたレモンバームに手を加えたのよ。ちょっとクセがあるけど…」  シュナイゼルは無言で紅茶を飲む。広志も頷くと飲む。  「チャーリー、しばらくここから下がってもらえないか」  「かしこまりました、シュナイゼル様」  給仕が無言で部屋を去る。シュナイゼルは今までにない厳しい表情をした。  「私が大統領になって二年になった、実はこの時期に後継者を決めておかねばならない」  「どういう事ですか…」  「この事は我が弟、ルルーシュや義弟、ロロと話し合い、二人とも賛成した事だ」  「一体何を…」  「私は君を、次期大統領に推挙する事にした」  「そんな…。ルルーシュこそ適任者ではないですか」  「我が弟ルルーシュは世界共同政府代表として多忙だ、ましてや私の後を継ぐのでは権力の私物化になってしまう懸念がある」  「私の実績と称するものはあくまでも私の周囲が私をサポートしてくれただけです、それ以上でもそれ以下でもない私をなぜ…」  「君は数奇な運命だ、あの戦神セルゲイ・ルドルフ・アイヴァンフォーの血に翻弄されながらも、ひたむきに生き続けた。そして困難を乗り越えた。そんな君を英雄として多くの人は見ている」  シュナイゼルは優しい表情で話し続ける。  「実は私が渡米した時に、ルーサー大統領時代だったがルーサー大統領は君がやがて大統領になる器だと見抜いていた。それも頷ける話だ、現に君が出した提案全てが食糧問題の解決や公平公正さの確保などにつながったではないか」  「私には即答しかねます、時間をいただけませんか…」  「ああ…、だが、私は君がこの話を受諾する事を信じている…。じっくり時間をかけて結論を出して欲しい…」  その夜…。  「それ、本当なのか!?」  輝がびっくりして広志に聞く。  「はい、シュナイゼル大統領閣下からしかと伺いました」  「ヒロ…、お前凄いじゃないか…」  「魁、このことはそんな軽い事じゃないんだ。大統領というのは国家のいわばシンボルであり、企業で言えば最高経営責任者だ。絶えず冷静で緻密な戦略に沿って国を治めねばならない存在だぞ。時と場合によっては冷酷な決断も辞さない立場なんだ。俺で果たしてこの任に堪えられると言うのか…」  広志は渋い表情で話す、川崎の高野家の私邸に魁・由佳夫妻、真東夫妻、バボン、ウルフライ、ほのか、ケンゴ、ひかり、元気とセーラ、ドン・ドルネロ、ギド・アブレラが集まっていた。バボンは渋い表情でバーボンを片手に話す。  「ヒロが今まで経験してきた事はいつか反映されると思っていたが、大統領とは…。人生の大どんでん返しだな」  「おめぇ、すげえじゃねぇか。立派だぜ」  「ドルネロ、果たして俺にはそんな力があるのだろうか…」  「大丈夫だ、あるじゃないか。俺達はヒロをずっと見てきた。どんな苦しい時でもヒロはひたむきになって道を切り開いたじゃないか。俺達はヒロから元気をもらってきたんだ。今度は俺達がヒロに元気を分ける番じゃないか」  ケンゴが言う。  「お兄ちゃんは今まで多くの挫折を見てきたじゃない。その人達の為に戦う機会よ」  「だが俺には…!」  「理念なき力は力とは言えないと言い続けてきたお前の力を見せる時だ」  「でも、お父さん。それは難しいかもしれないよ」  「元気」  ウルフライに元気が言う。  「ヒロさんは権力の恐ろしさを身をもって知っている。その判断ミスで多くの命や運命が翻弄されてきたのを多く見てきた」  「テッカマンとして多くの修羅場を潜り抜けてきた経験ゆえね…」  ほのかがつぶやく。無言でうなづく広志。  「権力の怖さをヒロ君は身をもって知っている。だから、慎重なのかもね」  「いずれ回答はしなくちゃだめだろう、ヒロ」  「ええ、いずれは避けられないということなのでしょうね…」  「だが、オメェがどんな答えを出したってヒロはヒロだ、支え続けるぜ」  「そうか…。お前も動いてくれるか…」  「兄上の意向は俺も賛同します、我が祖国日本を導くのは彼です。俺もヒロに大統領職を受けるように説得しましょう」  「本当ならお前を大統領に据えたい、だがお前は公私混同を嫌う、私もお前の気持ちはよく分かるから…」  二日後…。ルルーシュとシュナイゼルの電話である。  「兄上、あのハヤタ事件で犠牲になった松坂氏の刺殺実行犯に懲役5年、追徴金5000万円と判決が下りましたな」  「ああ…、彼もハヤタの被害者だ、今回恩赦を言い渡す事にするが、後見人を捜す事が条件だな」  「それなら彼の前チームの監督に依頼されたらどうでしょう」  「私も賛成だ、明日彼に電話を入れてお願いしよう」    その一週間後…。  白いワゴンのなかにいたのは広志とGIN顧問の安西晋三だ。  「シュナイゼル大統領閣下もよく動いたようだな」  「ええ、彼も本気で動いたようです。まさか彼の前チームの監督だった前田健造氏が後見人になるとは思いませんでした」  「しかし、君にあの話が来たのは当然だ、本来なら君が今頃大統領として国を引っ張るはずだった」  「そんな事はあり得ませんよ、俺よりも桑田など他にも優れた人材がいる。人生経験の豊富さなら安西先生や財前さんがいる」  「謙遜も過ぎるぞ、君らしかぬぞ」  小木駿介はシュナイゼル大統領から直々に恩赦を言い渡され、釈放された。その光景を二人が眺めていたのだった。その後は新日本自動車が10年以内にプロ化を進める構想をぶち上げた新日本自動車野球部に加入が決まっている。婚約者の二ノ宮颯乙弁護士、後見人になる前チームの監督だった前田健造、朝日奈、そして新日本自動車のゾーダ(朱雀善太郎)社長が釈放された駿介を車に乗せると刑務所から出てくる。  「野球部のプロ化構想は君の後輩であるゾーダ君がぶち上げたが、呼応したのは松坂一族や朝日奈会長達か」  「朝日奈さんの弟が小木さんなら納得ですよ、それに剣星君は怨みでは動かない人ですよ」  「そうだ、あの松坂先生の孫だからな」  「血縁だけでは人格は決まりません、あくまでもその育つ過程ですよ」  「ヒロ、君の実力を松坂先生は認めていた。いずれにせよ、応える時が来た」  「決断はもう少し、待ってください…。どうやらメディアにスクープされたようですね」  若い守衛二人に広志は目配せする。ちなみに二人は双子の兄弟で、明神タケルと兄のマーグである。  「君こそ、シュナイゼルの後継者に最も近い人材だ。自信を持ちなさい」    「そうか…。今回の治療費にこれだけ…」  「驚いたんだけどね。親父さん、ヨナが動いてくれたんだ」  剣星が見舞金といわんばかりに治療費を持ってくる。というのは剣星達がやっている吹奏楽部が独自に立ち上げている着音クラシックサイトがこの前から人気になっていて、広告費で月間100万円を超える勢いになってきていた。  その理由は剣星がヨナの働きかけでパンアジアリーグ強豪で地元のプロ野球チームの埼玉ブレイズの監督とヘッドコーチの応援歌を指揮したからだった。監督は韓国の英雄といわれ、今では日韓の架け橋になったソン・イルハン、ヘッドコーチは東京ヒーローズを解雇されてそのままソンに誘われて入団して現役を引退後ソンの補佐官になった原田達彦で、剣星は二人の現役時代のテーマ曲をクラシック風にアレンジして演奏し、二人とも気に入ってそのまま採用した経緯があった。  それがネットで評判になり、剣星達に配当金が回される事になった。剣星は受け取るのならとヴァイオリンやヴィオラの追加を要請して、メンバーも増えたのだった。  「剣星は無欲すぎるわよ、どうして受け取らないの?」  「全然。邸内にある事務所を貸しているけど月50万円、そこに5年前に太陽熱パネルに太陽光発電、メタンガスも導入しているんだ。それに食費だってほぼ無農薬の野菜だろ?贅沢しすぎだろ」  「将来はオーケストラになるんじゃないのか」  「すでに先輩達と一緒に受け皿を作り始めています。ソンさんや原田さんも協力してくれるそうです」  「良かったな…」  「はい、今度福岡ファルコンズのあぶさんのテーマ曲もやる事になりました。ソンさんから頼まれては断れませんよ」  そして大学1年…。  作業服に身をまとった剣星とヨナは川越のある一軒家の前にいた。家の塀は寂れたような印象なのだが、壁はガルバニウム鋼板が貼られている工事の真っ最中だ。  「社長、もうそろそろお客様は来るのでしょうか」  「来るさ。さっき電話があった」  剣星はにこりと建設業者に笑う。松坂興産は1年前に新たに地元の住宅建設会社・川越ハウス産業を買収していた。そこにリフォーム事業を加えて競争入札で購入した物件を改装し、販売するビジネスモデルを確立しつつあった。そこへタクシーが止まる。  「お久しぶりです、ランデルマン教授」  「まさか、あなたがこの家を買収するとは思いませんでしたよ」  紫色のトレーナーをまとった男が女に支えられながら車から降りてくる。関東大学・理工学部教授を務めているゾフィス・ランデルマンJrである。  「あなた、剣星君と付き合っているの?」  「はい!」  女性に笑顔で答えるヨナ。女性はゾフィスの妻であるココだ。  「前のオーナーのことをあなたは承知だったのですね」  「私が早く気がついていたらこんな悲劇にならずに済んでいた。今でも悔やんでいますよ…」  悲しそうなゾフィス。この家は以前、ゾフィスと付き合いがあったある大手化学薬品会社の創業者の住居だった。優しい経営者で知られていたものの、苦言を呈する部下を斬り捨てるなど強烈なワンマン経営で知られていた。だが、広東騒動の混乱で会社は経営破綻し、持株の全てを無償償却されてしまい自己破産に追い込まれた。  彼は最後、近くを流れる新河岸川に身を投げて自殺した。ゾフィスは若いころ、この会社の支援を受けて研究をしていたのだ。  「つい最近、この家を競争入札で購入したんですね」  「そうです、ある指揮者夫妻が家を探しているという話を聞いて、この事情をある程度説明し、納得していただいた上で競争入札に参加して購入しました。今はその方の意向にそってリフォーム工事を行なっています」  「どこまで進んでいるの?」  「防音仕様は当然ですが、耐震強化もしています。水まわりは昨日終わりました。壁紙や床板は変更済みです。天井の蛍光灯などはLED照明に変更しています」  「私もこのことには関心がありますよ。もっとコストを抑えて環境にやさしい蛍光灯を開発したいのが夢ですよ。今は大学のゼミナールで実験していますし、教え子たちにも実験に参加してもらっています」  その時だ、剣星の携帯電話のバイブが鳴り響く。  「はい、仲田です。今どこにおられますか!?川越駅前ですか、分かりました。武蔵バスで小仙波(こせんば)までのバスがありますので、仙波前というバス停で降りてもらって川沿いの工事中の家までお越しいただけるとわかります。…、すみません」  「来るの?」  「ああ、千秋夫妻が来る」  「君か、仲田剣星くんは」  「はい、俺ですよ」  千秋真一は剣星を見ると握手を交わす。赤ちゃんを抱えた女性がほほ笑みを浮かべる。  「あなた、李ヨナさん?」  「あなたは、あの野田恵さん…?」  戸惑うヨナ。剣星は千秋夫妻については話していたが、詳細までは伏せていた。  「そう、今度フリープログラムで演奏を担当してくれることになったんだ」  「私のために…」  「絶対にメダルを掴みたいって言う君の思いに恵は応えたいって妊娠していた際に話していたんだ。今は育児中で大変だけどね」  真一は恵と2年前に入籍した。パリ郊外の静かな教会で挙式した後、真一に日本復帰の話が持ち上がった。日本屈指の老舗である東洋フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者として、招致される事になったのだった。その直後に恵は妊娠し、母子ともに安定している時に正式に日本に帰国し、恵は真一の立ち会いのもと無事女児を産んだ。  「ゾフィスさん、話は高野CEOから伺いました。まずは織部さんの最後の場所に花を手向けましょう」  「そうですね、私も賛成です」  「織部謙治…。新日本化学産業の創業者だった…。あなたの家を僕らが購入させて頂きました…」  真一は橋のふもとに花束を手向ける。  剣星は十字を切り、目を閉じる。ヨナ、ゾフィス、ココも同様に対処する。  「織部さんはどんな人だったんですか?」  「自分の信念に忠実だった人ですね…。あまりにも忠実すぎて融通がきかない人だったのは確かです。しかし、私はその信念に敬意を払っていました…」  「そのために周囲で軋轢があったのよ。強引な手段に私もゾフィスも忠告したけど、笑って受け流していたのよ。まさか、広東騒動で香港証券取引所に上場していたことが仇になって倒産してしまい、つばさ製薬工業がスポンサーになったのは良かったけれど、織部さんは会社更生法の関係で経営陣から排除されてしまったのよ。しかも、メインバンクがひどかったのよ」  「メインバンクが!?」  剣星は驚く。ゾフィスが言う。  「新日本化学産業は神戸に本拠を持つサークル銀行東京支店から融資を受けていました。そのサークル銀行が債権回収に強引な手段を使ったのです。その結果、織部さんは自己破産を余儀なくされ、自殺に追い込まれたのです」  「ひどい…!!」  ヨナは怒りで拳を握り締める。剣星はサークル銀行と聞いて厳しい表情になった。そのことはのちのちに新たな運命の輪廻となって襲いかかろうとは剣星も知る余地はなかった…。  その1年後…。  4  「行ってきます!」  「しっかりやりなさい。私も旭川に行く」  ヴァルハラ川越病院に立ち寄るのはヨナ。今日、旭川に入りいよいよ韓国代表として本格的なトレーニングに入る。  「倉庫を改装したYLスケートリンクは補強工事をしておくよ。それが終わったらたぶん旭川に行けるはずだ」  「うん、待ってるから」  剣星に軽く口づけするとヨナは一樹に手を差し出す。  「絶対に、生きてください」  「ああ…、私も一日でも長く生きる為あがき続けると誓った…」  ヨナは笑顔で病院から旭川近郊のキャンプへと向かっていく。剣星が見送りに行く。    「2年前と比べると立場は変わってしまったな」  「でも、それほど違いはないでしょ」  剣星は川越駅前のコーヒーショップに入っていた。剣星は1年前、東京芸術大学に入学した。推薦で入学しても、零から学ぶ貪欲な姿勢は相変わらずで、神田川高校のOB・OGと一緒になって川越神田川記念オーケストラを結成した。今、そのオーケストラの話題が沸騰しているそうで剣星も若手指揮者として脚光を浴びていた。  その神田川高校は塔和大学を買収し、関東大学に変更した上、神田川高校も関東大学付属川越高校に変更し、隣町の川島町の廃校になった公立中学校の校舎と敷地を買収して寄宿制の中学校を立ち上げた。  ヨナは2年前にフィギュア世界女王になった、それもあり高校への受験競争倍率が上がった。  「お父さん、大丈夫かな…」  「親父さんの事が不安か?大丈夫だ、俺らが庇う」  剣星の笑みにヨナは励まされる、というのはいつも不安や緊張に襲われていた時に剣星はさりげなく声を掛ける。そのかけ方はわざとらしいものではなく、自然だ。  「それに高野先生も…」  「彼も見に来るそうだ。大丈夫、俺のマネーを費やしてでも助ける」  剣星は言うと手を伸ばす。  「旭川に来れるかな?」  「大丈夫さ。フィギュアの仲間がいる。それに高野先生が無駄を嫌って一括でチケットを買ってくれたじゃないか」  「それ、政治の力じゃないでしょ」  「それやったら俺も怒るやろ。競争入札で買い取ったそうだ」  「そうよね、剣星って結構潔癖性だからね」  「汚い事して金稼ぎするのは俺嫌いやで。姑息やろ」  剣星がオーケストラを結成したきっかけになったのは二年連続で神田川高校が甲子園に出場し、活躍した際のブラスバンド部OB・OGが集まった事である。安仁屋達の硬式野球部が二年連続で甲子園に出場した事で高校の名前は日本に知られるようになった。  一樹の為に広志は自腹を切って特別閲覧室を借り切った。そこに一樹はもちろん、主治医の一人である真東輝、綾乃夫妻に尚人、彩花の姉夫婦である小木夫妻と片岡家を招く予定だ。もちろん、その費用は広志と剣星が出している事は言うまでもない。  「しかし、俺の前であんなド派手なチアガールの姿じゃ、俺も戸惑ってしまう。中学時代に『ローゼンメイデン(女装)』させられちゃった時と同じぐらい」  「見慣れているクセして」  ヨナに舌を出される。昔の気さくなヨナそのものだ。4年前のヨナだったらあり得ないほどクールだったが、今はやや柔らかくなった。  「もうそろそろ来るみたいだな。じゃあ、旭川で会おう!」  「うん」  「それと、もう一つ。勝利もそうだが、自分の表現したいものを最後まで貫く事。それで負けても悔いはないだろ?」  「そうだよね。剣星」  「う?」  剣星の顔にヨナはキスすると笑う。  「私だけの剣星…」  「俺もだよ…。そうだ、これを」  そういうと剣星は手提げバックを取り出すと小箱を取り出した。  「これは…」  「今は亡き、じいちゃんの白金の指輪だ。俺を守ってきたようなものだけど、今度はじいちゃんにヨナを守ってもらおうって思うんだ」  「ありがとう…。じゃあ、私も…」  そういうとヨナもネックレスをはずす。そこには白銀の指輪が通されている。  「今は亡きママの指輪におばあちゃんのネックレスを通したの。頑張ろうね」  「ああ…。メンバー引き連れて応援するからな」  「ようこそ、旭川へ… 熱烈歓迎、次期大統領閣下」  思わず広志は苦笑いしながら一樹に微笑む。  「高野先生、あなたに相応しいではないですか」  「私は到底その器とは言い難いのですよ」  ここは旭川空港、広志が中心になって旭川五輪を見届ける為に来たのだ。  だが、一樹にとっては覚悟の旅行だった。この旅行で体力は相当消費し、死ぬ事は避けられない。それでも、一樹は行く事を望んだ。里奈と再会でき、そして自身を必至に守り抜いた剣星とヨナの晴れ舞台を見届けてから散りたい。広志は輝とこの事を悟り、ヴァルハラ旭川のスタッフと受け入れ態勢で相談して動いた。  広志が空港のロビーに姿を現す、旭川に多く移住したロシア系日本人が桜花旗を振って広志を歓迎する。彼らにとっては20年前の英雄なのだ。ロザリー・ヘイルが広志に笑いかける。  「次期大統領に相応しいでしょう、これだけ歓迎されたら」  「君は分からないのだ。権力は一度暴走すると歯止めがかからない。腐敗したらばかりじゃない」  「私もその事を実感しています。朝倉先生に下院議員に立候補する決意を伝えたら同様の事を言われました」  ロザリーは川越選挙区から下院議員選挙に立候補して見事当選した。その後は彼女の教育問題というテーマと真っ向からぶつかっていた。  「ぎりぎりで来てしまい申し訳ない」  「いやいや、気にしていません、片岡先生」  広志は温厚な笑みで貢一家に微笑む。    その二日後…。  「ヨッシャァ!」  赤と青のシャツをまとった剣星達が会場で喜ぶ。淡い赤のドレスをまとったヨナが剣星達応援団に向かって手を振る。彼女はショートプログラムで首位に立ったのだ。その光景をテレビで眺める二人。  「そうか…。無事にトップになったか…」  「ええ…。一応患者様の容態は…」  厳しい表情で直江庸一はカルテを眺める。志村倫子(直江の婚約者)が悲しげな表情だ。  「時期が時期過ぎた…。転移していて、しかも肺じゃ手の打ちようがない…。四年も保ったのは奇跡だ…」  「それでも、私は行きたい…。生きる為にも…」  「分かった、あなたの想いは僕らがかなえる。僕も多発性骨髄腫だった。今でも、その再発に怯えながらこうして僕を救ってくれた龍奉先生がこの場所に僕を導いてくれた。あなたを最後まで支える」  「お父さん…」  「ああ…。諦めはしない…」  そういうと一樹は目を閉じた。こうして、一樹に迫り来る死の恐怖。輝は蓮と一緒に一樹のサポート薬に指名したのが直江だった。元々ガンの一種に子供の時にかかった事があり、ガン患者の痛みが分かる外科医として評判がある。  「君達が伝えたい相手に対して、君達ができる最高のベストを尽くしなさい…。剣星君に伝えてくれませんか…」  「分かりました。私達でお伝えします」  広志がつぶやいた言葉を一樹は素早く思い出したのだ。  その翌日…。観客達の興奮が鳴りやまない中、ヨナは戸惑っていた。  「どうしよう…」  ノエルの大技での大逆転にヨナは戸惑い、苦しんでいた。まさか、ショートプログラムでトップになったのにフリープログラムで逆転を許すとは…。韓国の人達は『金メダル確実』とプレッシャーを掛けてくる。  大貫八重子(パコ)がヨナに話しかける。ヨナとノエルは互いにベストを尽くして決着をつけたい意向だ。  「大丈夫だよ、ヨナはヨナだよ」  「分かってる…、でも…」  「見て、あのボード!」  ヨナにパコが声を掛ける、そこにはボードがあった、ハングルで「自分らしくベストを尽くして滑ってくるんだ!俺達は最後までヨナを支える!!」というメッセージが書かれている。  「剣星…!」 ------行け、我が娘よ…  一樹の声がヨナに響き渡る。ヨナの表情が落ち着いたのを見ると剣星はほっとした。  今の剣星はこのオーケストラと共に世界の檜舞台へと駆け上がろうとしていた。剣星達は同級生のヨナのため応援団になって今回は韓国の応援に来たのだった。剣星が力強く叫ぶ。彼はオーケストラを率いてそのまま応援団を結成していたのだった。  「テーハミング(大韓民国)!」  「テーハミング!」  声と同時に手拍子が会場内に響き渡る。ヨナの演技が始まる、このままでは金メダルには届かない、だが剣星の言葉がヨナを支え続ける。 ------絶対に諦めるな、失敗しても俺達が庇う…!!  プレッシャーはいつしか消えていく。  特別観覧室では…。  ヨナの演技を見ながらガンの激痛にうめく一樹がいた。  「兄さん!」  「あいつを見てやれ…、あいつは自分の為に…、ううっ!」  貢につぶやきながら激痛に耐える一樹。広志が素早く事態を察し檄を飛ばす。  「最期まで見届けるんでしょう、しっかりするんだ!まだ彼女は金メダルを諦めてはいないぞ!!」  「行け、私を乗り越えていけ!」  かすかに響く声に耳を澄ませる人達。その中には涙を流している人がいた。広志が励ます。  「ああ、彼女はかならずあなたを超える。命ある者は必ず誰かによって凌駕されていく、片岡さん」  ヴァルハラ旭川の外科医である直江庸一は厳しい表情を崩さない。 ----ハヤタがあんな不正をしなければ彼は…!!  「直江さん、このままでは一樹さんは…」  「剣星君をここに呼び寄せるよう頼む、駿さん!僕は彼にモルヒネの投与をせざるを得ない…」  駿介に妻の颯乙(さつき、弁護士)が携帯電話を取り出す。駿介は素早く剣星にメールを送る。周囲にたちまち緊迫感が走る。  「輝先生、頼みます!」  「任せろ、輝広はメンバーを集めてサポートに入るんだ!!」  「分かった!!」  「…!!」  剣星の携帯電話に駿介からメールが入った。  「何…、一樹さんは時間の問題だ、一樹さんの支援を頼む!?親父さん!」  「ケン、応援団は俺が引き受ける、お前は親父さんを支えるんだ!」  「だが…」  「お前はいつも俺達の為に戦ってくれた、今度は自分の為に戦うんだ!お前は親父さんの側にいて支えるんだ、ヨナはこのままなら銀メダル確実だ」  「分かった、すまない!」  剣星は早乙女健太郎の声に答えるとすぐに特別閲覧室へと向かう。  結果はすでに見えていた為観客が帰っていく。歓喜の表情もあればがっかりした表情もある、その人の流れに逆らうように剣星はひたすら走る。 ------親父さん、死ぬな…!!まだ親父さんに俺達は見せたいものがたくさんあるんだ!  「剣星君!」  「親父さん!」  「だいぶ落ち着いた、だが次が最後の山場と見るべきだろう…」  広志は厳しい表情で剣星に話す、一樹は剣星が来た事に驚いたが覚悟を固めていた…。  「剣星…、これがお前を通してヨナに伝える最後のメッセージだ…」  「親父さん、何言うてんや!?」  「落ち着いて聞け。これは、誰しもが通過する避けがたい…、試練だ。わが屍を…、二人の絆で乗り越えよ…。そして、ヨナには『俺の事は構うな、お前の祖国の人々に希望を与えよ』と伝えろ…」  「そんな…」  「私はこの場所に来た時にお前に伝えた…。『俺の状態が悪化しても表彰式が終わるまで決してヨナには伝えるな、ヨナがうまい演技をすれば俺にとっての特効薬になる』と…。ヨナはプロだ…、それ程度は必ず乗り越えられる…と私は信じる…。ゴホッ!」  「『メダルをつかむ事が勝利というわけではない、そこへ至る道でどのような努力をしてきたかが人生の勝者への道のりなのだ』…。分かった、必ず伝えるよ」  「行け、我が息子よ!」  一樹の一声に剣星はひたむきに走り出した。応援団のサブリーダーを務める波風マリが不安そうに合流する。  「ホワイトボードを用意したよ、そこにメッセージを書いて彼女に伝えたら?」  「ああ…。急ぐぞ、それと、万が一に備えて波風は桜庭弁護士に連絡を入れてくれ!」  「分かったわ!」 -----やった…。初めての五輪でまさか銀メダルなんて…!!  ヨナは満足そうな表情でノエルと抱き合って健闘をたたえ合う。  「ホワイトボードが見えるよ、ヨナちゃん」   「え…、『俺の事は構うな、お前の祖国の人々に胸を張って希望を与えよ…』まさか…」  読み終えた事を悟った剣星に頷くヨナ。剣星は急いで走り出した、その際に肩を振るわせた事を隣で見ていた彩花は見逃さなかった。  「表彰式が終わったら閲覧室に急ぎますわよ」  「まさか…」  「ダメよ、今ここで行ったら。あなたを支える人達が待っている」  パコに諫められてヨナは頷く。  だが内心は行きたかった。こうしている間に剣星に重い負担を掛けるのは明らかだからだ。  「死ぬな…、親父さん…!!」  剣星はこぼれる涙をぬぐわず必死になって特別閲覧室に走り出す。  「剣星君!」  「輝君、親父さんの容態を病院に伝えたか!?」  「伝えた!直江先生がさっき連絡をして俺は救急車の搬入口に準備を頼んだ!オーケストラのメンバーがサポートに入った!!」  輝広が剣星に話す、剣星の後輩(18歳)で、医学生になっていた。直江までもが合流、三人は必至になって走り込む。  「絶対に助けるんだ!最後まで諦めるもんか!!」  「父さん!」  「ダメだ…。こうなると俺でも…」  輝は悔しそうな表情を隠せない。広志も厳しい表情を隠さない。二人の表情からもはや時間がない事を物語っていた。剣星が一樹に駆け寄る。外科医の石橋友也が悲しそうな表情だ。  「無力なのもやるせない…」  「親父さん!」  「君の強さも分かっている…。慌てるな…」  そういうと一樹は広志に顔を向ける。広志は覚悟を促さんと険しい表情で全体に目を配る。広志の手を握りながら一樹は息絶え絶えに礼を述べる。  「若き戦神(マルス)であるあなたのご恩はあの世でも忘れません。あなたの人生に光あれ…」  「分かった、あなたの崇高な想いはこの拙い私がせめてでも引き継ごう…。今はただあなたに何も出来ない無力な私を許してくれ…」  「そんな事…、里奈…」  一樹は里奈に目を向ける。輝広に促されて里奈が一樹の手を握りしめる。  「お父さんらしい事が何一つできなくて済まない…。お前の父は私ではなく、輝先生だと思い、慕ってくれ…」  「そんな…」  「あなたの思い、私たちが引き継ぎましょう」  輝が綾乃と厳しい表情でうなづく。貢が悲しそうな顔をする。  「貢…、兄として迷惑を掛けた事をわびたい…。俺のような人間を生み出さない事が俺への供養になると思ってくれ…」  「分かった…、必ず戦い抜こう…」  すでに会場では表彰式が始まっている。ノエルの金メダルが決まり、ヨナの銀メダル、彩花の銅メダルも確定した。  「親父さん!まだだろ、ヨナが金メダルを…」  「もう分かっている…。たとえ銀メダルであっても、私にとっては金メダルだ…」  一樹に言われて涙ぐむ剣星。  「親父さん…」  「我が息子、剣星よ…」  一樹にとって見れば剣星は息子のような存在だった。そして、それはもう一人の彼女へも向けられていた…。  「剣星…、私のもう一人の娘であるヨナを幸せにしてやれ…。勝利の意味を忘れるな…」  「分かった…」  剣星が悲しげに一樹を抱きしめる。一樹にとって剣星はもう一人の息子だったのだ…。一樹の首と手がだらりと垂れる。輝が心臓に耳を宛て首を横に振る。  「そんな…。輝先生、親父さん助けてくれよ!」  「ダメだ、こうなれば俺でも蓮先生でも…」  輝の手が無力の前に悔しさで震える。それは、片岡一樹がこの世を去った事を同時に意味していた。剣星がまだぬくもりの残る一樹の亡骸を抱きしめて泣き崩れる。  「親父さん!」  「お父さん、起きてよ、嘘でしょ!?」  「兄さん!」  普段ひょうひょうとしている貢が揺さぶる、こんな貢を輝は見た事はなかった。泣き崩れる里奈を抱き留める輝広。悲しげな表情の綾乃。厳しい声で広志が輝に医師としての任務を果たすよう促す。  「輝先生…、片岡氏に引導を…!!」  「15時45分、臨終です…」  輝が悲しそうにつぶやく。医師として臨終を告げるよう促した広志も悲しそうに十字を切った。貢の子供達が広志を揺さぶる。  「叔父さんを戻せ!」  「憎しみたければ、私を憎め。だが、憎しみは更に大きな憎しみを招く。私にあなた方の叔父君を失った悲しみをぶつけて満たされるというならそれで私は構わない。私が憎しみの連鎖を命を賭して断ち切ると誓った限り…!!」  「そんな…」  子供達を押さえる貢の妻。ここまで度量の大きな男は見た事はない。やはり、シュナイゼルが次期大統領に指名しようとしている理由が伺える。強い心と包み込むような優しさをもった指導者だとわかる。  「大貫さん…」  「よくここまで頑張ったなぁ…。私も最後このように生き抜ければ最高だ…」  「急いで!お父さんからメールが来ていないって事は大変な事よ!」  パコが三人を促す、特別閲覧室にはオーケストラのメンバーによる人垣ができていた。悲しげな表情で尚人が四人に気がつく。  「お兄ちゃん…。片岡さんは…」  「すまない…。片岡さんは…」  尚人は悲しげな表情で四人を連れて行く。彩花は最悪の事態を悟って目を覆った。そして物言わぬ亡骸になった一樹を抱きしめて泣き崩れる剣星と里奈がいた。全てを悟ったヨナが一樹の元に駆け寄るとわっと泣き出す。ノエルは悲しそうに十字を切った。ヨナの肩にタオルを掛けると駿介は悲しげに広志につぶやく。  「俺があの時ハヤタの誘いに応じていなかったらこんな事にならなかったのに…」  「過去を回想するな、問題は今どう受け止めるかだ。この悲劇を繰り返さないように我々はできることをやるしかないのだ…」  「高野先生…。この娘達も…」  「片岡さんに育てられたようなものでしょう、直江先生」  「どうして、こんなことにならなくちゃいけないの、パパ…」  泣き崩れる広乃に輝は声をかけることも出来ない。広志は悲しそうにつぶやく。  「今は気が済むまで泣けばいい。だが、彼の思いは君達の中に生きている。絆という形で…」  「良き魂の持ち主によって良き魂が巡り逢い、そして磨かれて新たな良き魂と導かれていく…。なぜ好漢がこのような最期を遂げなければならねぇんや…。不公平や…、理不尽や…」  剣星が悔しげにつぶやく。気丈な美紅が言う。  「気が済むまで泣きなさい。しっかり受け止めるから…」  「兄貴…、大往生だったな…」  「さらば、崇高な魂の人よ…。あなたのその魂が約束された世界で永遠に祝福されますように…」  ケンゴは広志と共に一樹の顔に布をかけると悲しげにつぶやいた。  泣き崩れる人々に沈痛なおもむきの広志がいた。美紅も悲しげな表情で見守る。  「俺は、これ以上悲しい人を作らせるわけにはいかない…。どうすればいいのだろうか…、美紅…」  「あなたへのエールに、あなたが応えるしかないわ…」  「それはこの手で、たとえ親しい間柄であっても信念を通す為なら笑って死ねと命じる覚悟も辞さない事を意味する。それでも君は…」  「大丈夫よ、最後まで私が味方よ」  「そうか…」  広志は美紅の鋭い眼差しに頷く。  「俺は、悲劇を食い止める為ならこの手を血に染める事も、鬼になる事も辞さない…!!」  それは高野広志が国軍の最高司令官でもあり、最高指導者でもある日本連合共和国大統領就任要請を受諾する決断を下した瞬間でもあった。  一樹の胸元に太極旗と桜花旗(日本連合共和国国旗)が広志の手によってかけられる。それは広志の剣星とヨナへの情けでもあった。  「高野先生…、私も覚悟を決めました…」  「罪を背負って、行政書士を始めるのか…」  栞に広志は鋭い目で問いかける。  「ええ、あの二人みたいに生きる事はできないけど、せめて近づく努力はしたい…。それが私のかつて犯した罪への償いになると思うのよ…」  「分かった、あなたの覚悟は我らも支えよう」  「主にこひつじ園を守る楯になるわ。あの子達が大きくなって、困難にあった際私は彼らを守る楯になる…」  広志は一樹の亡骸に話しかける。彼は一樹の棺をケンゴ、剣星、朝日奈と一緒に葬式会場に運んだのだ。  「あなたも、我が父達や松坂先生、光介先生や凱先生やシャルル国王閣下と共に我が戦いをヴァルハラから笑ってそっと見守ってくれ…。全てはこれからだから…」  「高野先生…」  ヨナ、ノエル、彩花が不安そうに聞く。  「大丈夫だ、君達の構想は我々が支持する。日本もいつまでも『国体』にこだわる時代ではない。身近にあるスポーツ大会が国際交流の場になるだけだからね」  「それに、一ついいニュースがあるわ。一樹さんの亡くなった特別閲覧室の前に追悼のプレートが掲げられる事になったわ。多くの人達にこの悲劇を語り継いでもらう為にも…」  「君達の心の中に一樹さんは生きている。そして、その崇高な魂は決して消えるものではない。これからの世代に引き継ぐ事が大切なんだ…」  三人はこの後、広志達に五輪の奨励金をベースに共同で基金を立ち上げ、日本の国体をベースに日韓両国でのスポーツ交流を通じて日韓両国の和解を目指す構想を立ち上げた。その概要は大体まとまったのだ。その構想に一部の勢力は反対していたが、すでに大半が賛同した為、2年後に開催される事が決まった。  「親父さん…、俺は誓う…。暗闇をののしるより、松明をともして走り続ける事を…」  「それだけでも一樹さんは笑っているさ。庭に咲く豪華な花より、道ばたに咲くタンポポのようになれという事だ…」  その顔にはすでに厳しい決心が宿されている。すでにシュナイゼル大統領には昨日、大統領就任要請の受諾を告げた。これからが国造りの始まりなのだ…。  「シュナイゼル大統領の次期大統領就任要請に対し、要請をお受けします」  広志は今までにない厳しい表情で議場で演説を始める。  「今まで、我々は日本連合共和国創設の時から様々な困難を共に乗り越えてきました。私達はこの数十年間、様々な混乱と背中合わせで生きてきました。ですが、その混乱になす術もなく巻き込まれる弱者の為、私は国家最大の力を正義の心を持って行使する決心を固めました。朝倉啓太前大統領は日本連合共和国を発展させロシア及びアメリカの関係を大幅に改善させた立役者であり、シュナイゼル大統領は世界共同政府を軌道に乗せた貢献者であります。私は偉大なる彼らと違い不肖の者ですが、テロ戦争、企業の暴走と強者の強欲が社会を乱す時代を、この身を以て食い止める楯とならん決心です。世界の困難を解決する政策を出す必要がありますが幸いにして大統領就任まで二年、猶予があります。その間、私は政権を引き継ぐべく準備を行い、政策が決定し次第、速やかに公表する事をお約束いたします」 ------君達よ、私の戦いを見届けてくれ…!この国を必ず、汚名を背負ってでも守りぬく…!!  広志は険しい表情を崩さない一方で出会った人々に心のなかで祈り続ける。国会の見学スペースで見守る剣星、ヨナ、ノエル、里奈。里奈の膝元には父一樹の遺影があった。  「お父さん…、お父さんの思いであの人の戦いを支えて…」  「大丈夫だ、ヒロは戦神セルゲイの血を継ぐ男だからだ…」  輝が彼らに話す。蓮も頷く。  「しかし、20年前戦いに巻き込まれて戸惑っていたあいつが、今や次期国家指導者とは…」  「だけど、これからですよ、蓮さん」  「ああ…。俺達もヒロの戦いを支えよう…」  その光景はソレスタルビーイング支部にも流されていた。ヒイロ・ユイは厳しい表情の広志を見ていた。 -----彼が目指す社会は誰もが手を取り合う社会だ…。だが、その実現にはどのような手段を用いるか…。俺達は見守るしかないだろう…  そして香港では…。  「高野…、俺もお前と同じように日本の為戦う。待っていろよ…」  テレビを見ていた福助が本気の表情で立ち上がる。そして電話をかけ始める。  「もしもし、俺だが以前話した天下取り、高野の後継者としてやるぞ…。あいつの松明は俺が受け継ぐ…。政策のマニュフェスト作成に動き出してくれ…。あいつのマニフェストも判明し次第仕入れてくれ」  「分かりました、桑田先生。僕らも支える用意があります」  ゼーラの仲間が答えてくれる。新たな戦いはもう始まっていたのだ…。  その頃、その演説をテレビで見ていた男が覚めた表情でスイッチを切る。  「戦いのない世界だなんて、ばっかじゃないの」  「そうですな。元にこの日本連合共和国とても民族の問題がありますからね」  「人口のバランスを取るための移民受け入れ政策…。ユダヤの流れに乗っていれば我々は勝ち組だからな」  高田源太は平然と言い放つ。彼の経営する通販会社・ドルセンマーケットは日本中を大きく飲み込んでいた。マスクをかぶった男がにやりとする。  「たかが共同政府を立ち上げただけでノーベル賞とは馬鹿げていますな」  土井垣勝・国連大使、城源寺恵三元大統領、デキム・バートンEU元議長、レックス・ルーサー米大統領がパタリロ英国王と共同で世界共同政府の設立と各国の国家の政策を共通化していく取り組みを行うよう提案した事で世界紛争は大幅に減っていった。  だが、アフリカは宗教戦争、南米は資源を巡る紛争が続いていた。これが、後に大きな火種になって世界に襲いかかる事になる…。 参考作品 著作権者 一覧 CHANGE (C)脚本 福田靖 2008 北斗の拳 (C)武論尊・原哲夫/NSP 1983 コードギアス 反逆のルルーシュ (C)サンライズ コードギアス製作委員会 脚本 大河内一楼、吉野弘幸、野村祐一 キャラクターデザイン CLAMP(原案)、木村貴宏 2006-2008 グッキ (C)MBC 1999 だんだん (C)森脇京子 2008-2009 仮面ライダーキバ (C)東映、ASATSU-DK 脚本 - 井上敏樹、米村正二 監督 - 田ア竜太、石田秀範、舞原賢三、田村直己(テレビ朝日)、長石多可男、中澤祥次郎 2008-2009 スーパー戦隊シリーズ (C)東映・東映エージェンシー ふたりはプリキュア Max Heart (C)原作 東堂いづみ 製作 ADK、東映アニメーション 2005-2006 パコと魔法の絵本 (C)原作:後藤ひろひと 監督:中島哲也 脚本:中島哲也、門間宣裕 2008 レストアガレージ251 (C)次原隆二・NSP ドリーム☆アゲイン (C)渡邉睦月 ゴッドハンド輝 (C)山本航暉 天碕莞爾 2001-2011 7人の女弁護士 (C)MMJ 2006,2008 ノエルの気持ち (C)山花典之・集英社 「無影燈」 (C)渡辺淳一(ドラマ「白い影」原作) 1972 機動戦士ガンダムシリーズ (C)サンライズ・創通 『最上の命医』(C)橋口たかし・(取材・原作)入江謙三・(医療監修)岩中督 2008-2010 内閣権力犯罪強制捜査官 財前丈太郎 (C)北芝健・渡辺保裕・NSP 『トワイライト』 (C)ステファニー・メイヤー 『ROOKIES』 (C)森田まさのり・集英社 プリンセスオンアイス (C)塀内夏子 2007-2009 スーパーマン (C)DCComics 原作ジェリー・シーゲル 作画ジョー・シャスター 1938- ハートでDanDan (C)浅倉まり 1993 夜王 (C)倉科遼(原作)、井上紀良(作画)集英社 2003-2010 宇宙の騎士テッカマンブレード (C)創通エージェンシー タツノコプロ 1992-1993 金色のガッシュ!! (C)雷句誠 2001-2008 『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』(ツバサ レザヴォア クロニクル) (C)CLAMP 2003-2009 のだめカンタービレ (C) 二ノ宮知子 2001-2010 101匹わんちゃん (C)ウォルト・ディズニー(原作・ドディ・スミス『ダルメシアン』、文溪堂 1956) 1961  この作品のキャラクターは採用させてもらいましたが、一部キャラクターの性格は大幅に手直しして採用しています。そのまま採用では動物愛護法違反になりかねないという判断からです。その点ご了解ください。なお、この作品に対する敬意はありますことをこの場で表明いたします。  また、法令違反を繰り返すメディアへの制裁も含め、参考作品の著作権者のクレジット名から該当する企業については全面的削除を実施しています。今後も違法行為には我々は断固とした措置をとるとだけ明言します。処罰対象にされている違法企業は直ちに謝罪し、再発防止の公開と関係者への懲戒解雇を含めた厳罰を下すよう要求します。 作者 後書き  一応話は大体めどがついたところです。しかし、その後の話と言う事で8話特別編を組んでいます。勝利至上主義への批判もこの中で行ったつもりです。  ちなみに平間恒雄はライブドアの無責任経営者の平松某と読売新聞のヒトラー・渡辺恒雄の合体、山下栄樹はマイカルをめちゃくちゃにした無責任自称社長、柴谷仁紀は丸井今井自称元社長の柴田哲治がモデルです。無責任経営者は会社をダメにするだけです。彼ら無責任連中の存在自体が会社ばかりか社会をむしばんでいく事は歴史が証明しており、ハイエナファンドを含めた彼らへの法的制裁(しかも厳罰で!)こそが日本経済の復活には必要不可欠なのです。  また、今後予定されている新編Research the Truthにも話は若干つながっています。サークル銀行、高田源太はそのキーワードに過ぎません。